妖精館
(「コギャルシリーズ」と題して描いた一連のイラストの一つ。 このシリーズは描いていて面白かった。また描きたいかも。。。) 「妖精館物語」も、いよいよ今回で最終回です。長かった様な、短かった様な。。。 確実に、妖精館関係者の何名かは、この物語を…
長々語ってきましたが、妖精館物語も残り少なくなってきました。 今日はちょっと趣向を変えまして 「ところで、shobunoはどんな作品を書いていたの?」 というお話です。 shobunoは、妖精館では「菖蒲野朋来(しょうぶのほうらい)」という ペンネームを名乗っ…
仕事が忙しくなり、しばらく私は妖精館の活動から身を引くことになります。 当時、私はただ必死に仕事と格闘する毎日でした。 妖精館の事も殆ど意識にのぼる事も無くなりました。。。 実にそれから10年の月日が流れました。 会誌FAIRYは一時期とても分厚く…
今回は、ちょっと違った観点からお話をしましょう。 正直、この話題に触れるかどうか最後まで迷ったのですが、 やっぱり、妖精館を語る上で避けて通れない様な気がするので、 トライしてみる事にします。 私が会長をしていた頃ですから、会が発足して4年目…
1995年5月4日午後2時過ぎの足立区勤労福祉会館の大きな会議室。 サークル妖精館の10周年会合が、盛大に執り行われました。 当時、会から離れて久しく、仕事が猛烈に忙しい時期でしたが、 10周年記念イベントをやろうという事で、かり出されていました。…
平均在籍期間、一年未満。 サークル妖精館の初期の頃の会員さんの定着度合いでした。 同人誌サークルとしては珍しく律儀にキッカリと3ヶ月に一度 会誌を発行していましたが、特筆できる事はそのぐらいでした。 素晴らしい作品を書けるスタッフや会員さんがい…
当時、約120名。 私が会長を引退した時の会員数でした。 恐らくサークル妖精館の歴史上、最大の規模だったと思います。 私の努力の成果か、はたまた偶然が重なった為か。。。? 私の会長時代の一年の間に組織は急激に大きくなりました。 連日大量の手紙を書…
妖精館物語もようやく折り返し地点、佳境に入ります。 (って、誰にも期待されていない様な気もしますが。。。 ま、ちゃっちゃと行きましょう! (^_^; ) 気がつくと、突然80人の集団のリーダーになっていました。 おまけに、その80人は全国に散っていて、顔…
話は多少前後します。。。 毎回、大学のコピーセンターで長時間かけて手作りで発行していた会誌でしたが、 毎回何千枚ものコピーをして製本するのは体力的にも、時間的にも限界という事で、 私たちは、格安な製本屋を探しました。 当時は、同人誌の製本って…
進歩くんに引きずられて始めた「サークル妖精館」ですが、 4年目辺りで、アニメージュに紹介が掲載されました。 アニメージュといえば、メジャーなアニメ雑誌ということで、問い合わせのお便りが進歩くんの家に殺到しました。 これは想像ですけど、恐らくこ…
関東地方も梅雨明けだそうで、急に「真夏」になってしまいました。 とはいえ、例年よりは多少過ごしやすいんじゃないかと思っています。。。 1日遅れましたが、お待ちかね(ていた方はさすがにいないと思われますが(笑)) 妖精館物語 5/15をお送りします。…
サークル妖精館の会誌「FAIRY」は、3ヶ月に1回、発行されました。 このテンポは、始めの頃は進歩くん個人の熱意によって、 後には会そのものの勢いによって、会の終盤には「習慣」によって、 ずっと維持されてきました。 創刊からその終わりまで。。。 2…
(駅前にたくさん提灯が飾られていました。本当はもっとキレイだったんですけど。 iPhoneじゃ、マイナス補正ができない〜 (><) ) 1985年8月、サークル妖精館の会誌 FAIRY Vol.1 は創刊されました。 それから、3ヶ月毎に会誌が発行されたのですが、 残念な…
(会社の隣で、マンション建築中。。。(例によって本編と写真は無関係です。)) 「一緒に本を造らないか?」 ・・・・ 「うん、いいよ。」 そんな会話が有った1985年6月。。。 (あ、これシリーズモノです。全15話位の予定です。。。(^_^;) 進歩くんは同…
前振りばかりして、一向に本題に入っていなかった事に気づきましたので。。。(笑) ボチボチ始めましょう。。。 1985年4月8日、私はとある国立大学の入学式の会場にいました。 確か、会場は大学ではなくて、どこかの大きな会館を借りて行われたと思います。 …
古い年賀状が出てきました。 宛名には妻と子供たちの名前と、 「○○(shobunoの苗字) 妖精様」 と記されています。 これは、娘の幼馴染み「Yくん」のママのしわざだな。。。 Yくんママは、私の事を「妖精さん」と呼びます。。。( 苦笑) 数年前まで、毎年こ…