(会社の隣で、マンション建築中。。。(例によって本編と写真は無関係です。))
「一緒に本を造らないか?」
・・・・
「うん、いいよ。」
そんな会話が有った1985年6月。。。
(あ、これシリーズモノです。全15話位の予定です。。。(^_^;)
進歩くんは同人誌サークルを創立し、私はそこのお手伝いをする事になりました。
サークル名は「妖精館」。これは進歩くんが付けた名前。
正直、そんなメルヘンチックな名前は嫌だと思ったのですが、
彼がどうしてもそうしたいというので、まっ良いかと。。。
そして、会誌の名前は「FAIRY」。これも同様の感想を抱きましたが、
まっ良いかと。。。
当時は、このサークルを自分のものと思っていなかったんですね。。
最初の会誌は8月に創刊。
創刊号は原稿が少ないだろうから、スタッフ(我々)も原稿を書かなくてはいけない
と言われて、ちょっと話が違うじゃないかとビックリしましたが、
結局彼の勢いに押し切られてしまいました。。。
「歴史に残る様な本を作ろう!」
それから2ヶ月。。。
そんな話はキレイさっぱり忘れていた8月15日。。。大学1年生の夏です。
突然、進歩くんが車で家にやってきました。
「これから編集やるから、車に乗って!」
「へっ?! えーっ?? 全然用意が出来ていないよ。。。」
「いいから来て。」
(コレをもし進歩氏が見ていたら。。。ゴメンなさい。
私視点なので、ややキツめに誇張された描写がなされているかも知れません。。)
有無を言わさず拉致され、御茶ノ水と水道橋の間にあった公園へ。。。
車には、彼と同じ学部の洵くん(仮称)も乗っていました。
(↑コレがその公園。 創立10周年記念に撮影。今はもう有りません。。。)
この日、進歩くんが集めた「会員さん」(いつの間に集めた??)の原稿と、私達が持ち込んだ原稿を組み合わせて、コピーして本を作る事になっていました。
「何か書いてきた?」
「いや、考えてみたけど書けなかった。。。」
心なしか、彼の目が険しい。。。(汗)
「書いてよ。原稿が足りないんだよ。」
「は、はい。。。」
隣では、公園のベンチを机にして、物静かに洵くんが黙々と何かを書いています。。。
私も仕方なく、生まれて初めて作品(小説(もどき))を、真夏の公園のベンチで書きました。分からない字が有ると、近くの古本屋さんへ行って、辞書を見て調べたりしました。
(ケータイも、パソコンも、インターネットも無かった時代のお話です。。。)
そのときペンネームを考え、自分の本名を逆から読んだ音に漢字を当てた「菖蒲野朋来(ショウブノホウライ)」にしました。
そうです。「shobuno」はここから来ています。
夕方になって、ようやく「原稿」が揃いました。
進歩くんは私達を連れて近くのカメラ屋さんへ行きました。
カメラ屋さんで原稿をコピーして、公園に戻って、ベンチにコピーを積み上げて並べて、
折って、組み合わせて、ホッチキス止めして。。。
何とか終わった頃には、周りはすっかり暗くなっていて、
小雨もポツポツ。。。
慌てて撤収。。。
こんな感じで、記念すべき会誌「FARIY VOL.1」は産声を上げたのでした。
全32ページ。発行部数は40部(位)だったと思います。
今から見ると、とても拙い、本とも呼びにくい様なコピー誌でした。
それでも、出来た時は軽い達成感が有りました。
しかし、終わって良かった。やれやれ。という思いの方が大きかった様な気がします。