昨日は会社の忘年会で飲んで帰ったせいか、
ブログを書こうとしても気持ちが切り替わらなくて、
「今日はパス!」
と、早々に諦めて寝てしまいました。
題材は色々有ったんですが、どうも書く気持ちになれない事って有るんですね。
(大して呑んでなかったんですけど。)
昨日は、マヤの2012年人類滅亡説の話題がさかんで、NHKの朝のニュースにまで
この話題が出て、びっくりさせられました。
例によってWikiペディアより引用(削除審議中らしい)
2012年人類滅亡説(2012ねんじんるいめつぼうせつ)とは、マヤ文明で用いられていた暦の1つ長期暦が、2012年12月21日から12月23日頃に1つの区切りを迎える[1]とされることから連想された終末論の1つである。
21世紀初頭のオカルト雑誌や予言関連書などで、1999年のノストラダムスの大予言に続く終末論として採り上げられているが、懐疑的な論者はマヤ暦の周期性は人類滅亡を想定したものではないと反論をしている[2][3]。学術的にもマヤ人の宗教観や未来観を知る上で意味があるとしても、それが現実に対応するものとは考えられていない[4]。
(引用終わり)
人間って、世界の終わりを考える事が好きなのだと思います。
時代の切り替わる時期とか、世紀末とか、そういうゴロの良さそうな時に、
「人類は滅びる!」という考えが流行するみたいです。
どうしてなのでしょう。。。?
単調で苦痛に満ちた毎日を送っている人々が、
「こんな世界無くなって欲しい!」
とか
「全く新しい時代に変わって欲しい!」
とか、そんな風な願望が、そういう考えを生み出すんでしょうか?
私の例で考えると、灰色の高校生活を送っていたころ、
苦痛に満ちた英語の授業のある日の朝などに、
「学校が燃えて無くなってしまったら良いのに。。。」
とか
「太陽が爆発して、一瞬で地球ごと蒸発したら楽かも。。。」
とか(。。。大丈夫か自分 (^_^;)、物騒な事を妄想したものです。
私が小学生の頃、「ノストラダムスの大予言」が大流行しました。
「1999年の7月に、空から恐怖の大王が降ってきて、世界が滅びる!」
今から思うと、なんじゃそりゃですが。。。(笑)
当時の小学生は、(少なくとも私の周りの人々は)みんな信じていました。
(当時の大人達はどうだったんでしょうね。。。?)
最初にその話を聞いた時は、
「そんな筈ないでしょう?」
と思ったのですが、みんなが信じているし、立派な本にも書いてあるんだから、
信じざるを得ないと思いました。
「でも、まあ、1999年と言えば、私も3x歳になる訳で、3x歳なら立派な大人。
やりたいことは大体やり尽くしている筈だし、死んでも諦めがつくか。」
なんて思っていました。
。。。いや、全然大人じゃないし。(今もか(苦笑))
やりたいことは全然出来ていないし。
思い残しが有りまくりなんですけど。。。。(笑)
ですから、1999年の7月はちょっと不安でした。
「まさかね。。。 でも、もしかしたりして。。。?」
2000年を迎えた日は、ホッとしたものです。
1999年の経験をした日本人にとっては、今年のマヤの話は
あの時程のインパクトは無かった様な気がします。
「またか。もう騙されないよ。」
という感じです。。。
そして今日を迎えて、また一つの終末予言が無くなりました。
(まだ有るのかな?)
でも、こんな事も考えるんです。
実は本当の恐怖の大予言は、
今の退屈に満ちた世界は決して変わらずに、このままずっと続く。
世界は変わらないまま、自分だけが、だんだん衰え、いつしか消えていく。
消えてしまった後は、あたかも自分が存在する前の世界と同じ、
自分が存在しない世界が永久に続いていく。。。
うーむ、ちょっと寒気がしてきました。(苦笑)
その「立派な本」。五島勉氏は、今いずこに。。。