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shobuno's blog

shobunoの日記です。日々見たこと、考えたこと、思い出した事などを興味の向くまま書いていきます。

リーダーに逆らう (今はなき株式会社Mの物語 8/16)

 クリスマスの日に、こんな陰気なお話を書いていて大丈夫なのだろうか?

と一抹の不安を感じつつ。。。「今は無き〜」 第8話目をお送りします。

(え?! 次回は元旦ですか。。。? さ、さすがにそれは。。。(^_^; )

 

 

 研修アップして一年程は、東京タワーのすぐ近くに有った事務所で

火を吹いているプロジェクトのメンバーをしていました。

東京タワーの明かりは毎晩何時に消えるのかとか、

知っていても別に嬉しくも何ともない情報を嫌でも知ってしまった程、

酷い稼働状況でした。。。(確か4時でした (^_^;)

 

 永遠に続くかと思えた、地獄の様なプロジェクトも終わり、

2年生になった頃、次のプロジェクトに配属になりました。

次のプロジェクトは、某大手半導体メーカーの生産管理システムの開発でした。

大きな工場が神奈川県にあって、そこに通って開発をする事になりました。

 

 プロジェクトメンバーは6名。

私よりも10年以上年上のS主任がリーダーでした。

 

(東京にはメンバーが50人程いたのですが、主任と言えば、大変なエリートでした。

 東京のトップは本部長で、その下には主任が数名しかいないという構成でした。)

その下に6年生のサブリーダー、5年生のメンバー、3年生の女性メンバー、

そして2年生のメンバーが二人(私と同期)の構成でした。

 

 S主任は大柄で、快活な性格に見えました。

プロジェクト経験は豊富で、何でも知っている風でした。

殆ど技術力を持たない私達2年生にこう言いました。

 

「分からない事は何でも聞け。

 客先で稼働するので、言動に注意せよ。

 お前たちは、「経験のある人」とお客さんには紹介してある。

 知らない事を聞かれても、知らない様子を見せてはいけない。

 お客さんの言った事は全部メモして、私に報告せよ。

 分からない事は、全てお客さんが見ていない所で先輩に聞け。」

 

 今から思うと実に酷い話ですが、当時のシステム開発は、

多かれ少なかれこういう事が行われていた様です。。。

 

 開発が始まり、早速お客さんとシステムの仕様を決める打ち合わせが始まりましたが、

案の定、チンプンカンプンでした。。。

全くオンラインシステムの経験が無いのに、

「オンライン経験はバリバリです!」

と言っていたのですから、精神的に大変な苦痛を強いられました。(苦笑)

 

(お客さん)「この画面のメッセージIDは◯◯でお願いしますね。」

(私)「??(メッセージIDって何だろう?)はい。分かりました!」

 

(お客さん)「この画面なんですけど、こういう項目を入れられますか?」

(私)「(??(冷汗)) は、はい。検討させてください。。。」

 

 だんだん、私や同期のスキルが怪しいんじゃないかと、お客さんの目に

疑惑の色が浮かぶ様になりました。。。(当然ですね。 (^_^;)

 

 私だけでなく、先輩達もスキルが足りていなかったらしく、

客先の仕事が終わると、「宿題」を持って、みんなで東京の事務所に戻って、

徹夜で開発作業をする様になりました。。。

またしても、厳しい状況になってきました。

 

 連日お客さんから、設計のダメ出しを食らい、スケジュールは遅れに遅れ。。。

快活だったS主任の表情がだんだんと険しいものになってきました。

東京の事務所で連日連夜、先輩達にS主任が怒鳴り散らす状態になり、

ある日、サブリーダーが突然、

「もう我慢の限界です。会社を辞めさせて下さい!」

と言って去ってしまいました。

 

 私は、S主任の設計したプログラムの作成を行なっていました。

設計と言っても設計書を貰える訳ではなく、こんな感じの機能を実装してくれと

口頭で指示された内容をメモしてプログラミングしていました。

 今から考えると酷いと思えますが、当時はこういうものだと思っていました。

 

 口頭の指示は曖昧で、日々変わりました。

プログラミングをしていて、どうしようもない矛盾が見つかり、

気を利かしたつもりで、勝手に対応ロジックを組み込んでしまったり、

指示内容を誤解して、誤ったロジックを組み込んでしまったりしてしまいました。

その度に、S主任は

「そんな事は言っていない! 

 どうして、勝手に進めるんだ!?

 何故誤ったロジックを作り込むんだ!?」

と怒鳴られました。

「これこれこういう訳で、こうしました。。。」

と言った所でS主任の耳には全く届きませんでした。

(10回に1回位は、私の考えが正しい事も有った筈だったのですが。。。)

例え拙い(つたない)内容でも、メンバーの話をきちんと最後まで

聞くようにしなければ、一緒に仕事をする事が出来ないんじゃないか。。。?

そんな事を当時の私はぼんやりと考えていました。

 

そうこうするうちに、開発スケジュールはどんどん遅れていき、

私の信用も地に落ちていきました。

私は終いには、ろくに開発をさせて貰えず、

毎日客先で、S主任の机の前に何時間も立たされて、

 

何故、開発が遅れているのかとか

何故、言われた通りに開発しないのかとか

何故、コンパイルエラーを発生させたのかとか

何故、言うことを聞けないのかとか

追求されました。。。

 

こんな風に毎日立たされて、無為な時間を過ごしているからですよ、とか

あなたが設計書を作らないからですよ、とか。。。

そういう事を考えながら、でも言えずにじっと耐えていました。

 

そんな様子をお客さんは心配そうに見ていました。

 

ある日、腹を立てたS主任が、私の胸ぐらをつかんで

「もう、お前には明日から仕事を与えない!」と言い渡しました。

「。。。はい。」

 

翌朝、出社しようと電車に乗りながら、

「ああ、私にはもう仕事が無いんだ。。。」

と思うと、急に体から力が抜けていきました。

今まで何とか耐えられていたのは、やるべき「仕事」が有ったから。

それが無いのだとすると、何に対して頑張れば良いというのでしょう。。。?

「もう、会社に行けない。。。」

私は途中の駅で降りて、S主任に電話しました。

 

(私)「もう仕事が無いので、会社を辞めたいと思います。」

(S主任)「ばかっ! 出社しろ!」

(私)「でも、仕事が無いんでしたら、出社する意味ないと思うので。。。」

(S主任)「仕事は有るから、出社しろ!」

(私)「本当ですか? 本当に私に仕事をさせてもらえるんですか?」

(S主任)「有るから。」

(私)「じゃあ出社します。」

最初で最後の、退職の危機でした。。。

 

 私の状況も最悪でしたが、プロジェクト全体も最悪な状況でした。

サブリーダーを皮切りに、メンバーが一人、また一人と、会社を辞めていきました。

プロジェクト発足から1年後には、6名いたメンバーは、

S主任と私と同期の3名になってしまいました。

 

 そのS主任も、お客さんから設計能力が低いと酷評を受けて、

解任されて東京の事務所に戻り、プロジェクトから外れました。

とうとうプロジェクトは、私と同期だけになってしまいました。

 

 その頃になって、私はようやくシステムを理解出来るようになり、

お客さんと普通に「会話」ができる様になりました。

S主任という「障害」が無くなったおかげで、

伸び伸びと仕事が出来る様になり、次第に仕事が面白くなってきました。

お客さんからの評価も高まってきました。

 

「shobunoさんって、こんな人だったんですか?」

そんな事を言われました。。。

 

 S主任はプロジェクトから抜けましたが、帰社する度に私と同期を呼び出して、

プロジェクトの状況の報告を求め、あれこれ指示を与えようとしました。

その指示内容は、当たっている事も有りましが、見当はずれの事もありました。

最初は、見当はずれの内容についてきちんと説明し、指示の変更を促していたのですが

「良いからこうしろ!」

と言われる事に耐えられなくなってきました。。。

 

とうとうある日、

例によってトンチンカンな指示を言うS主任に私は、大きく息を吸った後、

静かにこう言いました。

「済みません。今このプロジェクトの中心メンバーは私です。

 このプロジェクトの問題点や進め方については、私が一番良く分かっています。

 その事はお客さんも認めているんです。

 あなたは、もうプロジェクトとは関係ない状態です。

 あなたは、何も分かっていない。

 このプロジェクトの運営は、私の考えで行います。

 私が全ての責任を持ちますので、あなたはもうこれ以上口出ししないでください。」

S主任は、唖然とした顔で私を見つめていましたが、終始無言でした。

周囲が一瞬シーンとした様な気がしました。

私はS主任を残して、部屋を出ました。。。

 

S主任が退職したのは、この後 間もなくの事でした。

プロジェクトは、その後半年程続いて、開発終了と共に終了しました。

一緒にいた同期は、プロジェクト終了と同時に退職しました。

(こうして、東京に同期は一人もいなくなってしましました。)

このプロジェクトの生き残りは結局私一人でした。

 

 S主任は、良いリーダーでは有りませんでしたが、

やってはいけない事を目の前で沢山実演してくれたという意味では、

非常に優れた「反面教師」でした。

この経験は後の私に、非常に役立つ事になります。。。