帰宅時に、マンションのエントランスで若い男の人(住人だろうと思われる)と
一緒になりました。
軽く会釈して、エレベータに向かいました。。。
彼が先にエレベータに入って、私が行く先階ボタンを見ると、
「8」と「5」(私のフロア)が光っていました。。。。
うっ。。。向こうは私を知っていたっ!!!(冷汗)
こういう事って良くあるんです。。。
人の顔を覚えるのが苦手ってレベルじゃないですね。。。(苦笑)
道を歩いていると、子供たちのお母さん世代のご婦人に、
良く微笑みなかけられながら、挨拶を受けます。
私も微笑んで、「ああ、こんにちは!」と挨拶を返しますが、
相手が誰なのか、分かっているケースはほぼ有りません (^_^;
周りのみんなは、私のことを良く知っているのに、
私は周りの人たちの事を殆ど知らない。。。
そんな感じの映画が確か有ったっけ。。。
そうそう!
「トゥルーマンショー」だ。
「トゥルーマンショー」789junオリジナル予告編ver1(非公式)
いえ、トゥルーマンショーについて語りたかった訳じゃなかったんですが。。。
(どうも、今日は調子が悪いです (^_^; )
このままでは書こうとしていた本題に辿り着けそうに無いので、
今日はダラダラと、トゥルーマンショーの話でもしましょうか。。。(笑)
私だけがこの世の中で特別で、周囲の人たちは私を支える為に存在している。
そんな風に考えた事は有りませんか?
この考え方は、あながち間違いではないんじゃないかと思うんですが、
(だって、自分にとって「自分」という存在は世界の中心な訳ですし、
自分が死んだら、「世界」を観察する対象がいなくなる=世界が終わる
と考えても別に間違っていない。。。要はどこを視点に物事を見るかという
だけの話である訳で。。。ああ、話がクドくなりすぎましたね。止めます(^_^; )
それはそれとしまして、私は幼い頃からそういう考えを持っていた子供でした。
夜私が眠ると、周りの人たちは、
「ああ、やれやれ。やっと寝てくれたか。これで一休み出来るぞ。」
とか言って、自分の場所に戻って行くものだと思っていました(笑)
お父さんも、お母さんも、私の家も、外にいる人達も、鳥も、空も、
みーんなどこかへ帰ってしまって、
私が起きると、みんな慌てて戻ってきているんだと思っていました。。。
(何でそんな事思っていたんでしょうね(笑))
眠たくなると無性に淋しくなって、
「お母さん。ぼくが寝たらみんなどこかへ行ってしまうの?」
と泣きそうになりながら、尋ねたものでした。
息子がそんな妙な事を考えている事とは夢にも知らず、母はやさしく
「大丈夫、どこにも行かないわよ。」
と言ってくれましたが、私は密かに
「ウソだ。 みんな何処かへ行ってしまうに違いないんだ。」
と頑なに信じていました。。。(何故にか知りませんが(笑))
「トゥルーマンショー」は、そんな誰しも考えた事の有る様なお話を
実際に表現してしまった映画です。
若きジム・キャリーの演技も素晴らしい。
私の大好きな映画の一つです。
また観なおしてみたいな。。。
今日はこのぐらいで。
願わくば、このブログを書いている私が、世界放映されていない事、
私が眠っても、みんな何処かへ帰ってしまわない事を祈りつつ。。。
オヤスミナサイ(笑)