一昨日、急に徹夜するハメになりまして。。。 (^_^;
一睡もせずにお客さんの所に行って、1日プレゼン三昧。。。
さすがに夕方には、意識が朦朧(もうろう)としてきて、思考力ゼロ。
家に着いたら、バタンキュー(死語? (^_^;)。
そのまま、12時間程眠りました。
眠り過ぎたせいか、体が痛いし、アタマはぼーっとするし。。。
という訳で、今日は一日お休みを頂きました。
完徹なんて、もう5年ぶりぐらいかな。。。?
まだまだイケますね、私(? (^_^;)
さて、今日のお話は、
というニュースから。
我が「母校」が、大変な事になっているみたいです。
私が大学受験をした頃は、受験生の数がかなり多い時期でした。
必然的に競争率が上がり、「一浪、二浪は当たり前」の状況でした。
私が通っていた高校は、一応「進学校」と言われていましたが、
浪人率はかなり高くて。。。 高3の担任の先生は、
「今年の高3の生徒と、去年高3だった生徒ほぼ全員の生徒の面倒を見ている(苦笑)」
と言っていました。。。
まあ、そんな時代です。
私も、何となく高3時代は大学に現役で入れる気になれず。。。(^_^;
結局どこも受けないまま、当たり前の様に「浪人生」になってしまいました。
周囲のみんなが「浪人」していましたので、あまり「浪人」という現実が
シビアに感じられず、何となくこんなものかと思っていました。
井上靖の名作、「北の海」という作品がありますが、
「しろばんば」の頃は、あんなに良い子だった洪作クンが、浪人してしまい
勉強もロクにせず、モヤモヤした感情を持ちつつ、柔道に打ち込んでしまう。。。
青春時代のドロドロした感情、さまよう感じ、不安感。。。
私は柔道はしなかったけど、まさにあんな感じの漂泊感、不安感を味わいました。
えっと。。。
話がだいぶ逸れました。
私が浪人したとき、さすがに自力だけでは、来年も多分大学に入れないだろうと
思い。。。親に頼んで予備校に入れてもらいました。
当時の3大予備校は、駿台学園、代々木ゼミナール、河合塾でした。
「生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合塾」などと言われていましたが、
私が入ったのは、「講師の代ゼミ」の代々木校でした。
(残念ながら、駿台に入れるレベルじゃ無かった様な。。。(汗))
当時は本当に生徒が一杯で、代々木駅は予備校に向かう人で道が一杯。。。
予備校の職員さんが、交通整理をする為に毎朝、駅前や交差点で、
大声で誘導していましたっけ。
お昼時は、大渋滞。。。
周囲の飲食店は、受験生で満員。
私は、周囲の飲食店でゆっくり食べるのを早々に諦め、
校内に有った回転のやたら速い「立ち食い蕎麦屋」さんの、
「天ぷら蕎麦」を一年間、毎日食べていました。。。(^_^;
昼食を「食事」と考えず、「燃料補給」と思えば、同じメニューでも気にならず、
平気だったのですが、後でこの話を人にしたら、
「信じられない。」とか「(精神的な)病気なんじゃないか?」とか、
散々な事を言われてしまいました(笑)
まあでも、厳密に言うと、毎日全く同じメニューだった訳では無いんですよ。
「良いこと」が有った日には、温玉を追加して「天玉蕎麦」にしたりもしました。
(同じだろ〜 (^_^;)
「講師の代ゼミ」と言われていただけあって、確かに授業は面白かったです。
「人気講師」の時は、教室に入りきれないぐらい生徒が入って、
廊下にも立ち見が出る程でしたが、人気の無い講師は、だだっ広い教室に、
数人だけという授業もありました。
でも、「人気講師」の授業は勿論ですが、
普通の講師の方々の授業も充分楽しかったと思います。
いまでも、代ゼミで教わった先生の言葉を思い出したりするぐらい。。。
高校よりも、この学校の方が私には印象深く残っているかも知れません。
当時は大変な勢いで、今の状況になるなんて想像も出来ませんでしたけれど、
本当に子供の数が減っているんですね。
今は、「浪人生」の数も激減しているそうで。。。
「誰も浪人しない時代」。。。確かにその方が良いんでしょうけれど、
「浪人」して、不安定な状況に突然放り出されて、
その中で、あれこれ考えたり、悩んだり、不安になったりしながら、
自分を見つめる時期というのが有っても良い様な。。。
かつて「浪人生」だったせいか、そう思えるんです。
「日々是決戦」
あの頃、教室の前にかかっていた額の文字。。。
正直、当時はピンと来なかったけれど、
今頃になって、そうなんだよなあとしみじみ思えてくるのです。