息子(高3)が、体育の授業中バトミントンで、バックステップを踏んだ拍子に、右足の靭帯を痛めてしまいました。
傷病名は、十字靭帯損傷。。
右足の関節がパンパンに腫れて動かす事もできず、立ったり寝たりする事もトイレに行くのも自力では不可能な状態でした。
いやぁ、高3のこの時期に。。
彼の進学予定先は、今通っている高校から半エスカレーター式に繋がっている大学でして、来月から選考が始まるというこの時期に、困ったものです。。。
先生から「なんとか来週から登校できないか?」と、盛んに言われたのですが、お医者さまからは、「2週間は安静にしてほしい」とキッパリ言われてしまいまいました。
さてさて、どうなる事やらなのですが。。
思い起こせば3年前。
中学3年の夏に、息子の担任の先生から電話がかかってきました。
先生の声はとても動転している感じでした。
先生「息子さんが、友達を投げて、怪我を。。」
私「ええっ?!」
私は、息子がキレて、友達に怪我をさせたのかと思ってしまいました。。
息子は親の私には似ず、とても平和的な人間で、他人と争う事は決してしない性格だった筈。
幼稚園児のときの徒競走では、満面の笑みを浮かべながら、左右の友達と「仲良く」一緒に速度を合わせて走ったりする子供でした。
よっぽど、酷い事をされたのか???
先生を落ち着かせ、よくよく事情を聞き出すと、事実はこんな感じでした。
体育の柔道の授業中、払腰の練習で友達を投げようとしたときに、失敗して右足の関節を痛めたという話でした。
このときも靭帯損傷でした。
受験勉強が本格化する時期に、自力で登校する事もできず、毎日家内が車で送り迎えしたりする事になりました。
松葉杖が要らなくなるまで、3ヶ月もかかりました。。
今回も、よりによって受験を直前に控えた3年生の時期に、大怪我をしてしまいました。
今回の受験は、直前の三者面談によると、結構イージーモードだったのですが、
一気に厳しい状況に陥ってしました。
成績、維持できるんだろうか。。?
きっと、決戦を前に自らを窮地に追い込んで、最大限のパワーを発揮させるために背水の陣を敷いたのでしょう。。。(そう言うとカッコ良いが。。 ^^;; )
背水の陣 ウィキペディアより
漢の劉邦に仕えていた韓信は兵力20万人の趙を約3万の兵で攻略しなければならないという難局に臨んだ。韓信は少ない兵力で勝つために、少ない上に更に川を背にして布陣し、兵法に疎い少数の軍が攻撃してきたように見せかけた。これは兵法道理に趙軍の総攻撃を誘い、空となった城と備蓄を別動隊が占領し韓信が勝利した。韓信の背水の陣軍が壊滅しなかったのは、敵が大軍であればあるほど、逆に、しばらく持ちこたえれば自軍が勝利することを知っていたから奮戦できたのである。
ところが通俗ではこの重要な戦略が伝わらず、戦術の定石を敢えて無視し、軍団を逃げ場の無い川の前に布陣させ、兵が逃げ場が無く、陣形の再構築もできないことを悟ることで決死の覚悟で奮戦する為に勝利すると誤解され、あえて自らを窮地に置き、最大限に力を発揮させようとする事を背水の陣と言うようになった。
思い出してみると、彼はいつもギリギリの状況からの脱出する様な事が多かった気がします。。
赤ちゃんの頃、手をあまり動かさず、麻痺しているんじゃないかと疑われたのですが、数カ月後に動かすようになった。。
これも赤ちゃんのころ、ハイハイが規定の時期(?)になっても全然しなくて、とても心配させられたのですが、だいぶ遅れてできるようになった。。
ハイハイするまで移動できなかったという訳ではなく、仰向けに寝転んだまま足を蹴って高速移動するという。。我が家では「イカ」と呼ばれる移動手段を異常発達させました。。
立ち上がるのも異常に遅かった。。これもギリギリまで立たなかった。。
この時期、ハイハイを異常進化させて、超高速ハイハイをマスターしていました。
1歳になっても全然話さなかった。。ヒアリングは出来ているみたいで、親の冗談に反応してゲラゲラ笑う子供でした。
こんな風に、いつも親をハラハラさせる子なのですが、今回もまたやってくれました。。
いや、もうそういうの良いから。。。(苦笑
そろそろ、親を安心させてください。。