「戦艦武蔵」「遠い日の戦争」を読んだ 〜 戦争の記憶と吉村昭
人に勧められて、吉村昭の作品を2作読みました。
「戦艦武蔵」と「遠い日の戦争」です。
「戦艦武蔵」といえば、有名な「戦艦大和」と同型艦(同じ形の戦艦)です。
戦艦大和の物語はとても有名で人気が有って、色々なお話が作られて。。。
挙句の果てには、宇宙戦艦に改造されて、地球の運命を託されたりしてしまいましたが
同型艦の筈の「武蔵」に関しては、ほとんど物語を聞いた事がありませんでした。
私が辛うじてこの戦艦の存在を知っていたのは、小学生の頃、プラモデルマニアだった関係で、この戦艦も作った事があったという理由によるものでした。
(小学生時代の趣味も、いつ役に立つか分かりませんね ^^;)
えっと、こっちが武蔵で
こっちが大和です。 ^^;
分かりませんよね。。。 実際、建造当時は殆ど区別がつきません。
艦橋の階段がちょっと違うらしいのですが。。。まあ殆ど見分けはつきません。
お恥ずかしい事に、吉村昭の作品を読んだのは今回初めてでした。
一読してビックリ。
膨大な史実に基づいた描写が延々と続くのですが、驚く程、読みやすい。。。
これは凄い文章力です。
読み進めていくうちに、これは「小説」では無い事に気づきました。
「主人公」の「人物」がいないんです。
戦艦武蔵の建造に関わった膨大な人々が登場しますが、
特定の人物にスポットライトが当たる事は有りません。
「主人公」は、「戦艦武蔵」そのものなんですね。
当時の最高の技術者と、資材と、設計者を集結して、長い年月を費やして、国が傾くぐらいの膨大な努力が注ぎ込まれて戦艦武蔵は建造されます。
普通の人々が、自分たちの仕事が日本の為になると言うことを信じて少しも疑わず、
一所懸命励んで、大勢の人々の期待が込められて「戦艦武蔵」は生まれました。
戦争が始まり、武蔵は投入されるのですが、結局は活躍する場もないまま長く温存され
最後には、レイテ沖海戦で集中攻撃を浴びて(推定魚雷20本、爆弾17発、至近弾20発以上)海の藻屑と消えていきます。
武蔵の生存者は、いずれも悲惨な最後を遂げる事になります。
吉村昭の文章は、武蔵の誕生から最後までの様子をただ淡々と描ききります。
声高に戦争の悲惨さ、虚しさを訴える事は無いのですが、
膨大な「史実」の積み重ねを読み込むうちに、読み手の方に自然とそれを痛感させる様な、そういう力がある文章だと思いました。
遠い日の戦争
この作品は、終戦間際の時期、B29に乗っていた米兵捕虜の処刑に加わった主人公が、
戦後、「戦犯」として追われる立場になって、逃亡する話です。
戦争中は、捕虜の処刑は「正義」とみなされていたのでしたが、
戦争に負けて、占領軍によって「犯罪者」になってしまった主人公。
敗戦直後は、捕虜を殴っただけで絞首刑にされていたとの事で、
捕虜を斬首した主人公は、死刑を免れない。
転々と逃亡する主人公の運命は。。。?
という話です。
「戦争」によって、人々の価値観がコロコロ変わっていく中で、
主人公は翻弄されます。
戦争中は誇り高き軍人だった主人公でしたが、逃亡生活の中、
そのプライドを失い、アメリカ軍人や、普通に生活している日本人達に対して
恐怖を覚え、生き残る為に卑屈な精神状態に追い込まれていきます。
(この先、ネタバレしそうなので、控えます。。。)
どちらの作品も、「戦争当時の人々の感覚」と、「戦争の悲惨さや虚しさ」を
痛感させられる内容になっています。
この間ニュースで、広島の原爆体験を語る人が少なくなってきていて、後世の世代にどう伝えていけば良いのかという話題が特集されていました。
ニュースを見ていた時は、別に無理に伝えなくても「歴史」として理解すれば良いのではないかと、ぼんやり思ったのですが
吉村昭の作品を読むと、こんな風に「感覚的に」戦争の悲惨さや虚しさを伝える事が
必要なんだという事を感じさせられます。
終戦記念日も近いですが、こういう小説を一読する事は、きっと無意味ではないと思うのです。